PROFILE: 盛岡笑奈/LVMH メティエ ダール ジャパン ディレクター

伝統と革新をつなぐ、日本展開のミッション
WWD:LVMH メティエ ダール ジャパンは2022年に設立され、伝統産業の継承と発展を掲げています。はじめに、盛岡さんのミッションや、現在どのような役割で活動されているのか教えてください。
盛岡笑奈LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパン、LVMH メティエ ダール ディレクター(以下、盛岡):LVMH メティエ ダールは2015年に立ち上がった事業で、今年でちょうど10年を迎えます。ラグジュアリー業界では、多くのブランドがヨーロッパの伝統産業を支えにビジネスを展開してきましたが、近年は世界的にそうした産業の衰退が顕著になってきました。
その中で「優れたものづくりを守り、未来へつなぐ」という姿勢が、私たちの中核的な価値観として根づいています。ルイ・ヴィトンをはじめとするフランス発祥のメゾンであっても、いまやフランスや欧州にとどまらず、最良の素材や技術、クラフトマンシップを取り入れて製品を生み出すことが重要視されています。
日本は、伝統技術や素材、品質、そしてクリエイティビティにおいて世界的にも高く評価されています。さらに、まだ十分に発掘・活用されていないものづくりが、各地に数多く残されています。それらを再発見し、世界に発信していくことが、私のミッションです。
WWD:盛岡さんがこの任務に選ばれた背景には、どのような経緯があったのでしょうか?
盛岡:もともと日本のものづくりに強い関心があり、それをどうブランドビジネスに生かすかを考え続けてきました。ですので、自然な流れで現在の役割を担うことになったと感じています。
ビジネスとしての共生と産地連携
WWD:対象となる技術や産業については、どのような基準で取り組みを進めているのでしょうか?
盛岡:LVMH メティエ ダールはCSR活動ではありません。ビジネスとして成立させることを前提としたプロジェクトです。つまり、企業やブランドの成長と並行して、パートナーである職人や工房の持続的成長を支える「共生モデル」を目指しています。伝統的価値を単に保存するのではなく、それを経済活動として活かしていくことが求められているのです。
WWD:2020年にはベルナール・アルノー(Bernard Arnault)LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)会長兼最高経営責任者(CEO)が日本を訪問し、日本のクラフトや繊維産業に高い価値を見出す発言もありました。こうした動きは、LVMH メティエ ダールの展開と連動しているのでしょうか?
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盛岡:はい、グループ内でも以前からラグジュアリーの未来を考える上で、素材の定義や重要性を再確認する必要性が議論されてきました。従来は欧州の産地や職人たちが中心でしたが、すでに失われた技術も少なくありません。
一方、日本はフェーズが少し遅れていることもあり技術や素材がいまだ豊富に残されています。この「最後のチャンス」を逃さず、日本で残る技術や素材を再発見し、活性化していくことが今、重要だと考えています。
WWD:LVMH傘下のブランドはこれまでも日本の伝統産業と協業してきましたね。
盛岡:1953年にデザインされた「クリスチャン ディオール」の“ジャルダン ジャポネ(日本庭園)”と名付けられたドレスが象徴するように、多くのメゾンはかつてより日本をインスピレーションの源にしていて、日本の素材や職人技術を高く評価し、制作にも採用しています。ただ、活用の面ではまだ伸びしろは十分あると感じています。
地理的距離や言語の違い以上に、価値観や仕事観の隔たりがあったことも否めません。本質的な対話の欠如が、これまでの限界だったと感じています。単なる商取引ではなく、長期的な関係性を築く「かけ橋」となることが、私の使命だと考えています。
日本でしかできないものを見極める
WWD:特に、日本の繊維産業の、どのような点に注目されていますか?
盛岡:日本の繊維技術は世界的に見ても非常に高水準ですが、物理的な距離のために欧州ブランドと連携するハードルが高いという課題がありました。サンプル確認のスピードや物流コストが大きく影響します。
だからこそ、「日本でしかできないこと」から始めるべきだと考えました。たとえば、デニムや日常着で使われる絹織物など、唯一無二の技術にフォーカスしています。
WWD:実際の産地リサーチは、どのように進めているのでしょうか?
盛岡:資料や文献も大切ですが、最も重要なのは現場に足を運ぶことです。職人の工房で、ものづくりの現場を自分の目で確かめることが不可欠だと考えています。
注目している地域にはほぼすべて訪問しており、将来的には全都道府県を回りたいと思っています。訪問の際は、事前に関係者との打ち合わせを行い、それぞれの得意分野や技術の特性を理解したうえで現地に向かいます。
日本のものづくりには、分業制に基づく緻密な工程が多く見られます。たとえば同じ織物でも、染めに特化した工房や、糸づくりに強みを持つ地域などがあり、それぞれに独自の技術が根づいています。単発の訪問では見えにくい本質的な価値を見極めるため、何度も足を運びながら信頼関係を築いています。
WWD:軸として「日本でしかできないもの」を重視されているとのことですが、具体的には?
盛岡:はい、その軸は絶対にぶらさないようにしています。とくに繊維産業では、各工程が極めて高度に専門化されているのが特徴です。素材の品質に加えて、糸づくり、染め、織り、仕上げといった各段階で、それぞれ独立した高い技術が存在します。しかし現実には、たとえば糸づくりの工程では担い手が急速に減少しています。糸がなければ織物も成り立たないように、ひとつの工程が消えることで、全体の持続可能性が脅かされる可能性があるのです。だからこそ、今ある技術をどのように未来につなぐかを、慎重かつ戦略的に考える必要があります。
WWD:産地での出会いの中で、特に印象に残ったことはありますか?
盛岡:すべての出会いが印象的ですが、特に強く心に残っているのは、優れた技術を持ちながらも後継者がいない、あるいは高齢で引退間近という職人の方々との出会いです。「この方が最後かもしれない」と思う瞬間があり、そのたびに胸が締めつけられる思いになります。この貴重な技術を何としても次代へつなぎたい、という気持ちが自然と湧き上がります。
また、伝統技術というと「守るべきもの」というイメージが先行しがちですが、実際には多くの職人たちが日々挑戦を続けています。単に受け継ぐだけでなく、自らの手でアップデートしていこうとする意志にあふれています。まさに伝統と革新の両立を体現されているとつくづく感じています。年齢を問わず、そうした未来志向を持つ職人に出会うと、私たちも大きな力をもらいます。
エコシステム構築と地域への還元
WWD:パートナーシップの締結はどのように進められていか?
盛岡:パートナーシップの形態は一様ではありません。事業者の状況に応じて、資本提携、優先取引による戦略的連携、あるいは新事業立ち上げに向けたジョイントベンチャーなど、さまざまな選択肢を用意しています。重要なのは、一方的に「これをしてください」と求めるのではなく、相手の現状や可能性を十分に理解し、対等な立場で課題をともに乗り越えていくことです。
たとえば、欧州基準への対応トレーニングやサプライチェーンの透明化など、即時対応が求められる項目と中長期的に取り組むべきテーマを整理し、段階的に支援を行っています。最終的には、各事業者が自立してグローバル市場で戦えるスキルと自信を身につけ、新たなチャレンジを自ら始められる状態を目指しています。その橋渡しを担うことが、私たちの重要な役割だと考えています。
WWD:「クロキ」のデニム生地や西陣織「細尾」との取り組みも注目を集めました。
盛岡:いずれの事例も、単なるパートナー契約にとどまらず、「どう生かしていくか」に重点を置いています。たとえばクロキさんのデニムが、ラグジュアリー業界で広く認知され、世界に展開されていくこと。それ自体が一つの成果であると考えています。デニム産業は地域全体で支えるものです。ですから、単に一社が生地を供給するのではなく、地域全体の魅力を紹介し、「メイド・イン・ジャパン」の価値をグローバルに伝えるエコシステムを構築していきたいと考えています。
細尾さんの西陣織についても同様です。京都が持つ技術力や文化の奥深さを、ラグジュアリーの世界に改めて発信していく取り組みです。
WWD:伝統を大切にしながら、地域への還元も意識したエコシステムづくりですね。
盛岡:地域産業を真に守るためには、一部の工房や企業だけが恩恵を受けるのではなく、地域全体に利益が波及する循環を構築する必要があります。たとえば「ルイ・ヴィトン」や「ディオール(DIOR)」の製品が、ある地域の素材によって生まれていると広く知られるようになれば、その地域で働きたいと思う若い人も増えるかもしれません。
そうした流れができれば、地域内に小さな経済圏が生まれ、持続可能なエコシステムが構築されていきます。また、日本のものづくりは自然環境との結びつきが深く、地場産業は土地の特性と切り離せない存在です。たとえば、織物産地の近くに清らかな水があるように、風土と技術は一体です。
だからこそ、観光だけが先行し、地域に還元されないような形では本質的な価値は生まれません。本当に地域の人々に価値が戻ってくる仕組みづくりが、何よりも重要だと考えています。
課題は世界との比較や客観的な視点
WWD:日本の産地やクラフトの課題について、どのように捉えていますか?
盛岡:最大の課題は、世界との比較や客観的な視点が不足していることだと感じています。地域の中では「素晴らしい」と評価されているニットや織物であっても、同様に優れた技術や製品が世界の他の地域にも存在する可能性があります。そこを知らなければ、自分たちの強みも、どこで勝負すべきかも見えてこない。
世界に出ていくためには、すべてを守ろうとするのではなく、ある程度フォーカスを絞り、「これが私たちの核です」と明確に打ち出す必要があります。
WWD:最近、日本でもアーティスト・イン・レジデンス(AIR)のプログラムを始められたと伺いました。その意図を教えてください。
盛岡:もともとこのAIRプログラムはヨーロッパで展開していた取り組みで、毎年一社ずつ、パートナー企業の現場にアーティストを派遣し、工業や工芸のプロセスをアートの視点で表現してもらうというプロジェクトです。
工業の現場というと、どうしても機械的な作業に見えがちですが、そこにも繊細なクラフトマンシップが息づいています。アーティストがその現場に入り込むことで、職人たち自身が自らの技術の価値を再認識するきっかけになるのです。「なぜその手の動きなのか」「なぜこの作業順なのか」——当たり前と思っていた所作に対して、アーティストが新しい視点から問いを投げかけてくれる。それが職人たちにとっても大きな刺激になります。このプログラムを日本でも展開することで、改めてクラフトの価値を内側から見つめ直し、未来への革新につなげるきっかけになればと考えています。